『天気の子』:誰かの祈りで空が晴れる世界

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高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らす少女・陽菜。彼女には、不思議な能力があった。「ねぇ、今から晴れるよ」少しずつ雨が止み、美しく光り出す街並み。それは祈るだけで、空を晴れに出来る力だった。

誰かの祈りで空が晴れる世界。
天候を操る力ではなく、祈りを捧げる少女という設定がまず面白い。これは厳密には彼女の力ではなく借り物の力。誰かのために彼女は祈りを捧げ、そんな彼女と周囲の人々も祈りを捧げる。祈りを叶える絶対的な対象が確かに存在する、奇妙で恐ろしい東京の話だった。それを新海監督の現実をそのまま映し出したような映像で表すんだから、世界観としては完璧ですよ。

これを見る以前から、日本の作品にも願いでは収まらない祈りのような描写が増えたなと感じてたんだけど、この作品はそれらを反転させるほど滅茶苦茶に肯定しているようで嬉しくもあった。
祈りを扱った物語の中には、祈りを捧げて終わらせてしまう物語があり、現実や自分の行いにも同じ事が起こってる。この作品はそこから一歩踏み出し、それら全てを肯定するようで余りにも傲慢なんだけど少しだけ救われました。
しかも祈りを捧げて風化していった物語や現実は、この映画のお陰で確かに蘇った。少なくとも自分の中には蘇った。

祈る対象を未だに見つけてない自分にとって、「何に祈っているのかすら分からない」そういう姿にこそ共感できる。その一方で何かを信じている側には憧れ続けてて、祈りを叶えてくれる存在が明確にあるこの物語は、自分とはどこか遠い憧れの世界として見てた気がする。
だけどこの作品は非現実な話では終わらない。そもそも何に祈ればいいのかという現実の人間へ話しかけてくるとは思わず、正直ギョッとしたけど明快な言葉を心に強く残してくれる。
どうしようもない自分や現実に対して、ただ祈ることしか出来ず、何かにすがりたい人にとってこれはかなり残酷な問い。こんなの答えでもなんでもないんだけど、伝えられるのはここまでで、あとは否定するも肯定するも自由という終わり方は好きだった。
誰のために何を祈るのか、何故祈るのか、そもそも何に祈るのか。それを真剣に考えてた側には狂気でもあったけど。

賛否に関しては監督自身が公開前から話してたし、どこまで意図的だったのか気になる。このラストは十代の男女ではなく、親子の話ならもう少し受け入れられてたわけで、フィクションの少年少女ですら責任論から逃れられない現代に対してのものなら凄い。自分はここまで十代の葛藤や衝動が受け入れられないと思ってなかったので驚いた。映画や小説ですらそれらはもう花形では無くなるのかな。個人的にも少年の話にすることで、責任の話を曖昧にしてたとは思ってる。
でも、正義感に目覚めて無償の人助けをしようとする在り来たりな展開ではなく、きちんとお金を取ってるのが現実的でテーマにも合ってて良かった。序盤の東京は怖い生きて行くにはお金が要る。に無駄がなかった。

多分全ては新海監督のこだわりなんだろうけど、『君の名は』の後にこれなわけで、捨てるもの/捨てないものがハッキリしてるんだなと感じた。確実に何かを信じてる人だし、強い。あんなに反響あったら潰れてもおかしく無かったし、ここまで自分のやりたいことを伝えてくるとは驚愕だった。協賛企業ここまで出せば、映画監督は好きなもの作れるようになることを証明したんじゃないだろうか。

あと副題が完璧すぎるよね。『Weathering With You』の解釈が、各々の感想にそのまま繋がってるのも巧すぎる。自分は風化していく現実や祈りを表しているように感じたけど、掛詞として機能してて美しすぎた。この副題は自分の中で満点です。