『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』:被害者への敬意ある映画表現

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リック・ダルトンは人気のピークを過ぎたTV俳優。映画スター転身の道を目指し焦る日々が続いていた。そんなリックを支えるクリフ・ブースは彼に雇われた付き人でスタントマン、そして親友でもある。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに精神をすり減らしているリックとは対照的に、いつも自分らしさを失わないクリフ。パーフェクトな友情で結ばれた二人だったが、時代は大きな転換期を迎えようとしていた。そんなある日、リックの隣に時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と新進の女優シャロン・テート夫妻が越してくる。今まさに最高の輝きを放つ二人。この明暗こそハリウッド。リックは再び俳優としての光明を求め、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演する決意をするが―。
そして、1969年8月9日-それぞれの人生を巻き込み映画史を塗り替える【事件】は起こる。

(以下はネタバレ描写を含みます)

虚構と現実が交差するハリウッドのお伽話。
NG集で役者の演技が素に戻る瞬間が好きなんだけど、この映画はその境界を行き来する夢のような世界だった。こんな世界であの映像や音楽が流れる幸せ。当時のテレビ番組やはりぼて西部劇、マカロニウエスタンに特別な思い入れがあるわけじゃないけど、世界観から音楽まで楽しすぎた。
そんな時代の再現性に加えて、個人的にはこの脚本を絶賛したい。もう大絶賛したい。この映画は主演三人のストーリーが同時に進んでいき、あの時代の転換期を各々が違う景色として見ているんだけど、この物語のバランスというか偏りが奇跡的なまでに見事。ストーリーボードにしてみるともう興奮するくらい。展開上の無駄な話をここまで活かし、物語に組み込み完成させるまさにタランティーノ作品の集大成。試行錯誤の脚本に五年かかったという発言にも頷ける。
シャロン・テートという実在の人物を描くにあたって、ここまで愛に溢れ考え込まれたものを仕上げてくるなんて思わなかった。
正直タランティーノ監督の大ファンというわけではないので、見る前は批判的な気持ちもかなりあったんだけど、そんなモヤモヤは完全に晴れた。

シャロン・テート事件を初めて知ったのが『チャイナタウン』の回想インタビューで、だからこそあまり触れて欲しくない事件でもあった。
史実では事件後にポランスキー監督はアメリカから離れ、再びアメリカへ呼び戻したのがオスカーを取った『チャイナタウン』の脚本なんですよね。あのラストは監督自身が手を加えたもので、今ならハッピーエンドにしただろうと語る姿が印象的なインタビューだった。惨殺事件で感じた現実への無力感が、どれほど作品に影響を与えていたのかが痛いほど伝わってくるものだった。そして監督自身のその後の様々な事件や疑惑も知りかなりショックを受けた。

だから今作の内容がこの事件を扱うと知って、なんで今なんだろう気持ちが一番強かった。ポランスキー監督が撮るならわかるけど、彼が存命の間に他人が撮るのはどうなんだろう。タランティーノ監督が得意とする歴史の書き換えを用いたとしても、それはポランスキー監督の無力感を再び蒸し返すものではないか。痛快な復讐を期待する反面、見終わっても確実にモヤモヤするだろうなと不安だったんですよね。
だけどそれは全くの杞憂だった。
正確にはこの部分が解決してるわけではないんだけど、そもそもの主題が根本から違った。この映画は誰のために撮られた映画なのかという疑問に対し、タランティーノ監督の答えは明確で、一番はシャロン・テート本人のためのもの。忌まわしき事件の被害者として、語ることすら憚れる彼女のイメージを変えること。
この映画は自分の中の、そして世界中の人達が持つ彼女への悲惨なイメージを払拭してくれた。タランティーノという世界的な監督が、あの名優達の160分の中で誰よりも自信と輝きに満ち溢れてたシャロン・テートの日常を見せてくれる。そうすることで触れてはならない彼女の名前は魅力的なものとして命を吹き返した。

この映画の何が凄いってシャロン・テートのパートって展開的に殆ど必要無い点。だからこそあのラストは驚きで、多くの人が彼女を救う展開を予想してたし期待してたけど、まさかその彼女が無関係な映画になるなんて想像できなかった。ある意味でこの手の話のルールを破ってて、彼女を関わらせない、こんな優しいルートの存在を描くなんて反則的でもある。
見る前からポランスキー邸で起こる事件へあの二人が助けに入るんだと思い込んでて、今考えればそう思わせるミスリードも巧かった。絡み酒みたいな行動があんな救いになるなんて、犬が倒すのかよ火炎放射器って、レビューで笑ったという人が多くて流石にそれはないだろと思ってたのに、笑ってしまったよ。

あの結末は期待を完全に上回ってた。その期待さえ利用されて、これほど「期待以上」という言葉が似合う映画もない。だっていままでの展開なら、シャロン・テートや友人達、なんならブルース・リーポランスキーなんかも乱入してきてもおかしくないし、こんな優しい形で裏切られるとは思わないよ。
そしてこのラストによって、今までのシャロン・テートのあらゆる日常がより耀いて見えた。映画館でニヤニヤしてるシーンとかもう最高。彼女は最後まで日常を行き続けてあの時代のハリウッドを誰よりも謳歌してた。展開としては殆ど描く必要の無い彼女を、あそこまで魅力的に描くことに大きな意義がある。それは彼自身が見てきた時代だからこそ出来たこと何だろうな。
フィクションの力で確かに現実の認識を変えて見せた、タランティーノ監督を絶賛したい。