「支援」への注目、「支援」という社会原理

今、「支援」という言葉への注目が熱い。

子育て支援、犯罪被害者支援、難民支援、特別支援、復興支援、人道支援、就学支援、自立支援など。「支援」という言葉は現代においてよく見られる。特に貧困国や紛争国、被災地への支援、不条理な状況に陥っている人々への支援など、見知らぬ他者や国への支援はかつてないほど注目され活発化しているといっても良い。

情報機器の発達は、今まで想像すらしなかった多くの他者や地域を身近なものとした。これはまた、社会の様々な問題や苦境にある人々を映し出し、世界中の多くの人々を「支援」という共通の目標へ向かわせることを可能にしたのである。これらは、かつて最大の経済援助国として挙げられていた日本が、3.11の際に世界中の国々・人々から様々な形で支援が行われたことで改めて感じられたことだろう。貧困・暴力・疾病・災害など、現代世界は未だに何らかの支援が必要な場面に溢れているが、支援が求められているのと同等に、支援することを希求する人が増え始めていると考えることは楽観的な意見ではない。幸いにして、現代社会は「支援」という現象に溢れているのだ。

 

・支援の時代とそれに付随する問題

今田は言う。

「支援という概念が21世紀の社会や人間の行動原理や組織原理となり始めている」

1970年代に勃興した社会運動

1990年代のボランティア・(非営利組織)・(非政府組織)活動の高まり

近年における企業のフィランソロピー活動の高まりや政府の支援制度の多角化

 このような流れを経て、現代ほど支援に関する組織力やネットワークが広く強固になっている時代はない。家族の失敗や関係性の希薄が叫ばれる一方で、官(国家)・民(市場)・協(市民社会)すべてのアクターが「支援」という目標を掲げることで、現代社会は「支援型の社会」へと向かいつつあるのである。

しかし、支援に対する関心や動きがどれだけ活発になったとしても、それだけで「支援現象」が成立するわけではない。支援は支援者の意図からのみ成立しているのではなく、被支援者の意図を配慮し、ニーズを満たし、エンパワーメントを与えることで成立するため、被支援者側の視点が必然となる。特に現代社会がボランティアや対人援助職、社会政策や制度として支援活動が活発することで、当然そこから付随する問題も無視できなくなっているのである。つまり、適切な支援は相手の創造性を引き出し、支援を受ける相手やその社会にとって大きな利益となるものの、不適切な支援は一種の暴力にすらなりえ、社会的には大きな損失とさえなることがあるのである。

 

・適切な支援を求めて

支援とは無条件に善しとされるものではない。

支援者の一方的な価値観を押し付けるような支援

支援を受ける者を依存者として貶めてしまうような支援

支援を受ける者が本来持つ力を奪ってしまうような支援

支援者がその苦痛を抱え続けることを強いられるような支援

このような支援は、適切な支援とは言えない。現代において、「暴力的な支援」や「支援の逆説」、「支援者の燃え尽き症候群バーンアウト)」は一種の社会問題と化している。現代社会は確かに支援という方向性に向かいながらも、支援の現実は非常に歪な形でしか成り立っていないのである。支援活動が社会的に高まっているからこそ、その際生じる支援の問題にも目を向ける必要が生じる。支援が未だに曖昧な状態で一般化しつつあるからこそ「支援とは何か」という点を明確化する必要。つまりは、支援のあり方や支援を行う際に生じる問題、注意点をきちんと認識する必要があるのである。

善意は善行を保証しない。

支援を行う側はその立ち位置に決して陶酔せず、常に試行錯誤しながら支援を行う必要がある。

 

 

支援学―管理社会をこえて

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