『アイリッシュマン』:マフィア映画へのレクイエム

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全米トラック運転組合のリーダー:ジミー・ホッファの失踪、殺人に関与した容疑をかけられた実在の凄腕ヒットマン:フランク“The Irishman”・シーランの半生を描いた物語。全米トラック運転手組合「チームスター」のリーダー、ジミー・ホッファの不審な失踪と殺人事件。その容疑は、彼の右腕で友人の凄腕のヒットマンであり、伝説的な裏社会のボス:ラッセル・ブファリーノに仕えていたシーランにかけられる。第2次世界大戦後の混沌とし たアメリカ裏社会で、ある殺し屋が見た無法者たちの壮絶な生き様が描かれる。

「教会へ行くんだ、いつかわかるさ」
監督には前を向いて新しい挑戦をしていく人と、後ろを向きながら書き直したり継ぎ足していく人がいるけど、スコセッシ監督は明らかに後者。キリスト教やマフィアといった幼少期に関わりの深かったテーマと向き合い続けてる。
そんな彼が30年近くの悲願の末に完成させたのが『沈黙』であり、それに継ぐ今作は機は熟したと言わんばかりの集大成映画になってる。監督の原風景でありルーツでもあるマフィア界隈の映画でありながら、男らしさや破滅の美学とは趣が少し異なる。一つのジャンルに終焉を告げるような、老いや死について悔恨と共に語りかける名優達の哀愁漂う締めくくりとも言える。

暴力を描きながらその虚しさを、強き者を描きながらその弱さを描いた二律背反な物語はいつも通りだけど、『グッドフェローズ』を始めとしたマフィア映画とは少し違う。『沈黙』の影が見え隠れしながら、ラストの告白や懺悔に関してより明確に「弱き者」の救いや居場所を問う。監督のこれまでの両軸が交わる瞬間でもあって泣けた。
自分の宗教観は遠藤周作に依る処があるから、スコセッシ版の『沈黙』は完全に信じてる側の映画で微妙だったんだけど、今作で過去のテーマを総括しながら生の映画として血肉となって結びついた姿を見ると批判なんて出来なくなる。
そもそも常に誰かの指示を仰ぎ続けたデニーロが演じる役は、『沈黙』の版権を守るために監督曰く「撮りたくなかった映画」を撮らされてきた監督自身で、晩年の姿には疑問もあったけど納得した。

この映画が魅力的なのは、そんな監督の総まとめに集まってくれた俳優達の存在も大きい。長年組んできた俳優に、最高のゲストの参戦。困り顔のデニーロ、ペシお祖父ちゃん、甘党のパチーノの最強トリオが最高すぎる。
悲しいけど言葉の重みってそれを発する人間による部分があるんですよね。言い尽くされた言葉でも語る人間によって重さが違う。これがデビュー作で無名の俳優達だったら、とんでもない若手が現れたとは思えど、ここまで響くものはなかったと思う。完全に映画を飛び越えた役者や観客達に向けた台詞とかもあってやっぱりズルい。
ここの背景を評価するかで分かれるんだろうけど、個人的には監督や俳優自身が築き上げてきた功績も含めて見てしまうからこの映画は咽び泣くほどの傑作だった。「この賞を彼から手渡されたことに意味があるんだ」

 

沈黙 (新潮文庫)

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