『まぼろしの市街戦』:現実を生きる狂気と妄想を生きる狂気

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第一次大戦末期、敗走中のドイツ軍は占拠したフランスの小さな街に大型時限爆弾を仕掛けて撤退。イギリス軍の通信兵は爆弾解除を命じられ街に潜入するも、住民が逃げ去った跡には精神科病院から解放された患者とサーカスの動物たちが解放の喜びに浸り、ユートピアが繰り広げられていた。通信兵は爆弾発見を諦め、最後の数時間を彼らと共に過ごそうと死を決意するが…。

第一次世界大戦末期、イギリス軍の侵攻に備えて爆薬が仕掛けられたフランスの街。取り残された精神病院の患者達は、避難した住民に代わり好きな役柄を演じて自由を謳歌する。
戦時中の歪んだ世界と、歌い踊りながら各々の空想を生きる街。外から来たイギリスやドイツの兵士達を交えながら、社会が引いた正気と狂気の境界線を塗り替える。狂っているのはどちらなのか。

今やってる『ジョーカー』もこの作品に近いし影響とかもあるのかな。もちろんあれはアメリカ映画をオマージュしたものだけど、こちらとも裏表のような関係になってる不思議。そう考えると原題の心の王/ハートのキングがまた洒落てて、あっちが辛かった人なんかには特にオススメ。
ジョーカーとはある意味で真逆な「こんな狂った世界なら引き籠もろうよ!」とも取れるボイコットの流れ。しかもアーサーと違って同じ仲間がいるわけで、やっぱりアーサーに必要だったのは福祉やピエロやカウンセラーでもなく一緒に踊ってくれる相手だったように思う。まあ結局はバットマンなんだよね。

狂った外の世界で生きるくらいなら、自分の世界で踊り続ける。それで社会が変わるわけではないけど、この映画はベトナム戦争に反対する当時の若者達から熱狂的な支持を得た。
戦争という途方もない相手だからこそなんだろうけど、ジョーカーが公開されて一時期は妙な空気になってた現在とは良くも悪くも時代は変わってるんだなと思ってしまう。敵視する者が身近に目に見えるようになった怖さがあるけど。
結局どちらも他人を分かった気になって、その領域にズカズカ踏み込んで暴れる人間を揶揄したものだよね。
さらにこの映画もワンシーンで様々な解釈が分岐し煙に巻かれ、喜劇によって困惑や偏見を示す観客すらも笑い飛ばしてくれる。
他人を異常だと同情し笑う者は、相手からも同じ事を思われていると気付いてないのかもしれない。