『ロケットマン』:エルトン本人が製作に関わり実績よりも過去や依存症に焦点を当てた最高に格好いい映画


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自助グループでの告白から始まるエルトン・ジョンの半生。
ミュージカルは基本的に個人の心象風景的な側面があると思ってたんだけど、ここで挟まれるミュージカルは少し違う。孤独や依存症を抱える本人が実際に見ていた幻覚とも思えるパートもあって、エルトンがドラックや禁断症状で見ていた世界を見せられてる気分になることさえある。
これが見える時期と見えない時期の偏りは、そのまま心情のパロメーターとして彼の辛さを表してるよう。痛みを吐露するような音楽が始まると、この時期は本人にとって心の底から辛かったんだと分かるし、ミュージカル始まらないでと思ってしまう自分もどこかにいた。
時系列的には多少おかしくても、当時の心情を表す曲や主観的な風景を描けるのはまさに本人製作総指揮の強み。なによりこの映画は驚くほどエルトンとの距離が近い。カメラが離れない。時間も彼の感覚でどんどん進む。俯瞰することを拒むように、追体験を迫ってくる。この近さは賛否ありそうだけど、自分には彼が見ていた本物の風景に思えてズタボロに響いてしまった。

伝記を描く際には客観的な資料と主観的な声をどの程度組み入れるかが重要で、どうやっても批判されるのがこのジャンル。そんな伝記物へ自助会でのカミングアウトやミュージカルなど心理療法的仕掛けを用いてる点には驚いた。自助会なんて洋画では使い古された語り口だけど、伝記の切り口としては珍しい気がする。
依存症患者の語りと回復を主題にする事で、同じ症状を抱えた人達や共感した人達にどれ程の勇気を与えたか。この徹底した主観的な語りは伝記としては危ういかもしれないけど、誰かにとって大きな価値を持ったはず。自分はそんな伝記物を読んで励まされてきたわけで、この映画もその一つに加わりました。
本人製作総指揮や存命中の伝記なんてリスクしかないし、自分もあまり期待してなかったんだけど、それらを背負ってでも全てを曝け出し伝えきった、エルトンとタロンには尊敬しかない!それに応えた監督も!

エルトン・ジョン音楽史としては大満足ではないかもしれないけど、それを犠牲にしてでも依存症期間に焦点を当てて作った姿勢が凄く格好いい。エンドロールといい自分と同じ症状に苦しむ人たちへ向けられた映画でもあるだろうし、そう見えてくるほどに光り輝くのがもう一人のエルトン、タロン・エガートン。本当に圧巻の演技だった。『キングスマン』も好きだったけど、あれは犬とコリン・ファースに釘付けになってしまっててたから、今作は素晴らしかった。

ボヘミアン・ラプソディ』と比較されるのは仕方ないしどちらも好きだけど、踏み込み方からして根本が違うと思う。特に先の映画でハイボルテージな盛り上がりを撮れる監督だと実証されてるだけに、今回のは意図的な方向なんだろうか。製作過程が気になる。
違う人間の人生なのにパクリだ何だと言われるんだろうなと憂鬱ながら、良い設備で曲が聞ければいいやーと気楽に行ったら、色んな意味で予想外で大満足な映画でした。