カンボジアのゴミ山で生きるスカベンジャーの人々。

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一面がゴミで埋め尽くされているゴミ処理場。
ゴミ処理場とは名ばかりであり、そこは都市から排出されるゴミがそのまま放置された「ゴミ山」となってる。そして、このゴミ山で暮らし、使えそうなもの・リサイクルできそうなものを業者に売ることで生計を立てているのがスカベンジャーと呼ばれる人々である。

写真からは伝わりにくいが初めて訪れた者にはまず、一面に広がるゴミの光景以上にその臭いと暑さに圧倒されてしまう。

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裸足でゴミの中を駆け回る子ども。

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信じられないくらいたくさんの人々が生活を営んでいる。子どもや老人が多く感じられる。

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都市とその周辺。
莫大な消費が行われる都市が、その周辺に消費の結果としてのゴミをばら蒔いていく。しかも、それが結果として周辺に住む人々の生計の要となり、都市とその周辺地域のヒエラルキー関係が形成される。
この「ゴミ山」という問題はかなり根の深い問題である。ゴミがそのまま放置されることで、その付近・そこで暮らす人々の健康状態に悪い影響を及ぼすだけでなく、ゴミを集めることが普通に働くよりも多くの収入をえることもあるため、スカベンジャーの人々が自立するキッカケを阻害することになっているのである。

実際、観光大国を目指すカンボジアは、景観上、このようなゴミ山をなくそうとしている(2009年現在)。この動きは、人々の衛生環境を改善するうえでは好ましい。しかし、何のサポート・補助もなしに、生活源であるゴミ山を奪われたスカベンジャーの人々はその後どう生きていけばいのか。という新たな問題が浮上する。

近代化への道のりに必ずつきまとう「消費」という現象。そして、それが必然的に生み出す「ゴミ」問題は今やグローバルな問題となっているが、途上国などではより根源的な問題として降りかかっているのである。