ニューウェーブSFの再来:『アド・アストラ』


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人はなぜ宇宙を目指すのか。
使命や好奇心だけでなく、地球に馴染めない人間の逃避先となった宇宙。
様々な映画で断片的に語られてきたこの問題を、自己と向き合うことで改めて問い直す。過去の名作や読者と対峙し総括する。清算する。
結論は別として、SF好きならこれほど興奮する試みはない!!

 

賛否あるけど個人的には大絶賛だし、酷評見るのが辛くて心が死んだ映画は久しぶり。
こんなにハマったのは『闇の奥』『地獄の黙示録』を意識した結果、J・G・バラードも混じってたからかなと思う。SFの主題とは「現実の外世界と精神の内世界が出会い、融けあう領域」と提唱し、60年代のニューウェーブSF運動から停滞していたSF表現の幅を広げた。
そんな彼の内宇宙を模索する実験的な小説みたいに、この映画も敷居が高まりジャンルが狭まりつつある今のSF映画の幅を広げてくれと期待してしまった。
終末論的な考えが巡り巡って今を見つめろってのも良い。
ただ、その視点で見るとモチーフ少なすぎるし、あくまでアメリカ映画として全然違う方向へ突き放していくんだけど、それらを含めて最高の挑戦だった。

 

これはハードSFではないけど、SFの皮をかぶったヒューマンドラマでもない、脈々と続いてる紛れもないSF映画
ハードSFやスペースオペラこそSFの醍醐味だと価値観を植え付けた、最近のハリウッドからこんな作品が出初めていて昔に戻ったみたいでワクワクする。
正直この手の映画は知名度のある有名監督で回していくのかと思ってて、それをこんな短編小説みたいな話を二時間かけて、資金と人材をかけて撮るなんて、今年のアメリカ映画は最高すぎるよね。
宇宙ものと関わりを持ってなかった、ブラッド・ピットが腰を上げたってのも面白いし格好良い。


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あの親子は一般的に論じられてるみたいな社会的な象徴以前に自分自身でもあった。
SF小説読んでると何でこんなに苦労してまで読んでるんだろうと時々思ってしまうんだけど、結局それは好奇心と現実逃避の半々であって、あの親子のやり取りはそんな読者や作者の歴史。
あの父親は子供の頃に未知なる存在を信じた自分だし、子供の方は今や現実逃避気味にSFを消化し始めてる今の自分の姿。子供の自分が今の自分を産み落としたなら、どこかで向きあう時期が来る。
そんなこと考えてた末の、あの展開には色々通り越して笑ってしまったけど。

あらゆる登場人物に感情移入できて、疑問すらなくなってしまう鮮やかなSFばかりだったら、映画そのものにもここまで惹かれることはなかった。色んな作品があったからこそ、レンタル屋のSF棚を制覇してやると夢見た子供時代があって、他のジャンルや媒体に入っていけたんだよなと懐かしくなった。
最近は内宇宙や内証的なSF映画が復活してきてるし、次に来るのはサイバーパンクなのかな!

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以下、愚痴が少し増えます。
これはSFじゃないとかSFでやる必要ないって意見を見てると、やっぱりSF映画は時代から取り残されたジャンルなんだなと悲しくなる。同じ映画から生まれかつて兄弟分だったホラー映画が、今やジャンルを横断して物凄い熱量を放ってるのを見てると尚更思う。
資金と知識と実績の全てが必要な今の敷居が上がりきったSF映画とは正反対で、今どきワンシチュエーション系のSFを撮ろうとする新人監督なんてそうそういない。
他のジャンルにSF的なガジェットや考えが行き渡ってしまった結果、ハード面以外からもこれはSF映画じゃないと言われ始めて、いつからこんな狭っ苦しいジャンルになったんだろう。
SF衰退論とか信じてなかったけど、SF的な仕掛けがありふれた事で、それをSFと認識することが減ったってのは事実なのかも。
なにより監督の威光が強すぎて、権威主義的になってるのも辛い。調べもせずにあり得ないと低評価されるわけで、有名監督の誰かが撮りましたとなれば認められたはずの映画も多いんだろうな。目を通すだけでいいから、監修とかで誰か名前を貸してくれないかな。とは思わないけど思いたくなる。
ただそんな中でカウンター・カルチャーとして成長したSF表現が復活してきてるのも事実で期待してる。
そして最後に、SFに対して常に投げかけられる「それSFで描く必要ある?」という言葉。この映画でも「そんな答えを得るために宇宙へ行く必要ある?」って言われてるけど、あるよ!