『よこがお』:タイトルに隠された映像の三人称性

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訪問看護師の市子は、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた。なかでも訪問先の大石家の長女・基子には、介護福祉士になるための勉強を見てやっていた。基子が市子に対して、密かに憧れ以上の感情を抱き始めていたとは思いもせず――。
ある日、基子の妹・サキが行方不明になる。一週間後、無事保護されるが、逮捕された犯人は意外な人物だった。この事件との関与を疑われた市子は、ねじまげられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてが音を立てて崩れてゆく。すべてを失った市子は葛藤の末、自らの運命へ復讐するように、“リサ”となって、ある男の前に現れる。

あらすじから漠然としたイメージが湧いたとしても、そこに映像と音を加えるだけで別物になるのが深田監督作品。まさに要約不可な映画とも言える。
今作はこれまで個との関係性を主軸に扱ってきた監督が、社会との関係性を盛り込んだ新境地。なんだけど、映画が特定の主義主張を伝える道具となる事を自覚した上で、自分の考えでなく観客に委ねる映画を撮りたいと語ってた姿が好きだった身としては、社会的なテーマの強さにその点が少し歪められてるようにも見える。
これは監督のTwitterを見てても仕方ないのかなとは思うし、自身の主観や映画の持つプロパガンダ性を極力排除するというのはやっぱり難しいのかな。
そこを除けばこの徹底した三人称的な映像は大好きだし、音の使い方も突出してる。なにより筒井さんの怪演が素晴らしくて、このコンビは長い付き合いになって欲しい。

監督が書き下ろした小説版『よこがお』も読んだんだけど、本編とは違う結末と構成で登場人物の印象が少し変わって面白かった。映画や小説は横顔という一面を映したものにすぎない、とでも言うような監督らしい二面性で題名が更に好きになる。
一番気になってた部分が小説では問われるんだけど、なんとも曖昧な返しをされて良い意味で煙に巻かれる。
人間や物語の多面性を示した上で、それを色々と解釈する観客を覗き込むような不気味さや気持ち悪さがこの監督作にはあって、この部分こそがやっぱり好きなんですよね。
羅生門的だった『ほとりの朔子』や徹底した三人称を貫いた『淵に立つ』みたいな、人間関係から描いた作品の方が個人的には好みだったけど、今作を経て深田監督がどんな映画を撮っていくのか気になるし楽しみ。