『凪待ち』:タイトルに込められた復興への想い

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毎日をふらふらと無為に過ごしていた郁男は、恋人の亜弓とその娘・美波と共に彼女の故郷、石巻で再出発しようとする。少しずつ平穏を取り戻しつつあるかのように見えた暮らしだったが、小さな綻びが積み重なり、やがて取り返しのつかないことが起きてしまう―。ある夜、亜弓から激しく罵られた郁男は、亜弓を車から下ろしてしまう。そのあと、亜弓は何者かに殺害された。恋人を殺された挙句、同僚からも疑われる郁男。次々と襲い掛かる絶望的な状況を変えるために、郁男はギャンブルに手をだしてしまう。

震災後の石巻を舞台に描かれる喪失からの破壊と再生の物語。どうしようもない自身や社会の狭間で、それでもいつか訪れるはずの平穏という凪を待ち続ける。
人も街も一度のキッカケで立ち直れるわけではない。結局はその繰り返しが必要なわけで、他人からの善意や意志に触れ続けることが重要なんだと思う。
その意味でこの映画はあくまでフィクションとしての希望を宿してるんだけど、エンドロールでは一転して現実にゆっくりと引き戻される。ドタバタ帰らずに最後まで見て欲しい。この物語の底にあるのは紛れもない現実。

この作品にはあまりにも語られないことが多すぎる。だけどそれが理由もなく奪っていく自然災害と重なってこの題名に行き着く。待つしか無い。自然にしろ状況にしろ、いつか荒波が静まるのではないかと。何度同じ失敗を繰り返しても、それを繰り返し続けながら凪が訪れるのを待ち続ける。『凪待ち』という受け身とも取れる題名は、あらゆる願いや祈りが込められた意志でもある。

津波が全てを駄目にしたんじゃない。新しい海にしたんだ」
正直、失うことが必ずしも否定的には描かれていないため少し戸惑う。失うより前に歪みは既に存在していて、喪失を経たからこそ始まった再生の物語。
語られていない部分に目を向けるとゾッとする話で、消えた側に関して余り語らないのは白石監督らしい。だけどこの作品ではそう捉えなければ前に進めないある種の熱量が伝わってくる。

皮肉とかでは全然なくて白石監督はいい意味で上手なフィクションを描く方だと思ってた。実話を参考にしていても、これは映画ですよと割り切っているように見えた。この映画もまさにその類なんだけど、最後の最後で認識が少し覆りました。
映画としては『マンチェスターバイザシー』や『Demolition』の方が好きなんだけど、映画というフィクションが震災の現実に限りなく近づいたあの瞬間で別次元の話になった。今までとは違う白石監督の新境地。これが次の『ひとよ』へ向けたものなのかは分からないけど楽しみだな。
香取慎吾の演技も良かった。声を出すとさすがに違和感はあるけど、その風貌や雰囲気はまさに適役だった。