看護の時代、看護という可能性。〈キュアからケアへという合言葉〉

 

看護の時代 看護が変わる 医療が変わる

看護の時代 看護が変わる 医療が変わる

 

現代の医療分野において、「キュア(治療)からケアへ」という方向性が明確に示され始めた。疾病構造が感染症などから慢性疾患や精神疾患、老人退行性疾患の段階へと移りつつある現代社会においては、キュア(治療)をメインとした医療には限界があり、個人の生活に根ざした「ケア」への視点が必然となる。「キュアからケアへ」という合言葉は、過酷な治療や副作用による障害、無理な延命により苦痛を強いてきたキュア(治療)に対して打ち出された。そして、医療技術の進歩のみを追求し続けてきた現代医療、延命至上主義を掲げ死を敗北として捉え続けた医学への反省から生まれたとも言える。

 

・治療という限界

 医学は、「人間」よりも「病」を対象として取り上げる。そして、それに準ずる医師たちの多くもまた、「人」よりも「病」を科学的対象とし、患者を一人一人個性を持った存在として見ることを怠ってきたと言われてきた。

しかし、近年になってこのような方法論の限界が示され始めているのである。「治す医療から健やかさを見守る医療」を主張する医師、日野原は次のように言う。

「現代医学はいのちを引き伸ばすことはできても、いのちを豊かにすることはできない

「医学が進歩した現代では、たいていの病気を医者が直しているように見えるかもしれませんが、治療で完治できる病気は、未だにほとんどないといっていい。…風邪は医者が治すまでもなく自然に治ってしまうもので、動脈硬化は手術をしてもそういう傾向を持つ人はいずれまた動脈硬化を引き起こす。…人間の体は、機械の故障を部品交換で元通りに治すのとは同じようにはいかない。…医師にできることはそう多くないのです。」

だからこそ、医療においてはケアという視点が必要になってくる。病む人に安らぎと慰めを与えることなら「しばしば」できるかもしれないから。「病そのものよりも、それを抱えた生き方を、当人も私たち医療職も問わなければならない。病を持つその患者に、生きがいという希望を与えられるようなケアを私たちはやはり求めるべきなのである」

 

 ・看護の可能性

 キュアを担ってきたのが医師であるならば、現代まで医療の分野でケアを担い続けてきたのは看護師たちであった。看護師の川島は、脳生理学者の時実の“人間の生きる姿とは、「生きている」つまり生命が維持されているという保障の上に、「生きていく」という動的な活動が営まれている状態を言う”という言葉を引用しながら、“キュアとは「生きている」を存続させることであり、ケアとは「生きていく」ことを支えることだ”と言う。そして、看護師は「生きている」への補助的な関わりから、「生きていく」への深い支援まで、人の生の営み全般に関わっていると。

看護師の仕事は、「医師の診療の補助」と「療養上の世話」という二つに分けられるが、昔から看護師の仕事は前者が優位なものとみなされ、「医師のアシスタント」というイメージが定着してしまった。しかし、看護の可能性とは実は後者の「療養上の世話」、つまり「ケア」の側面にこそある。従来の医療において、「生活」や「暮らし」という視点は置き去りにされ続けてきたが、慢性疾患や精神疾患、老人退行性疾患の増加、医療の高度化による過酷な治療や副作用による障害の発生により、現代の医療は「生活を送る際に生じる支障や苦痛」にまで目を向けざるを得なくなっている。つまり、患者の「生活の質(QOL)」を充足することが目指されるべき新たな目標として浮上したのである。

看護は「寄り添い」や「見守る」ことを通じて、このような「生活」や「暮らし」に対してまで目を向ける。病とは、それを抱える個人やその時期によってそれぞれ異なるリアリティをもたらす。だからこそ、人間のライフサイクルやその人間の個別性、家族や属性などの背景を尊重することが重要になるのであるが、看護はそうした面をトータルに見ることができる。こうした全体を見わたす視点で、QOLの充足、人が健やかに生きていくことをケアするのである。

看護の可能性とは、このような「病の治療」という局部的な視点を持つ医師に対しての、社会・家族・個人までを含めた全体性を持つ看護師。そして、医師の知らない日常の情報を、患者の代弁者として伝えることで患者に必要なキュアとケアを提供することにこそ、その可能性が見られるのである。

 

・「キュアを中心とする医学領域」と「ケアを中心とする看護領域」の組み合わせ・支えあい

これからの医療は、医師や看護師、その他の人々とのホリスティックなサービスを提供していく必要がある。しかし、現代社会での「医師」と「看護師」の置かれている社会的地位と賃金の関係はあまりにも対照的だ。それが反映してか、看護師の方々が置かれている労働環境は非常に厳しい。あまりにも厳しすぎる(もちろん医師の方たちも同様であることは忘れてはならない)。

小林によれば、長時間労働、夜勤・業務量の多さ、人手不足から、流産やうつ、過労死にいたる看護師が増加しており、毎年10.2万人に及ぶ離職者が出ていると言われる。医療技術の高度化や疾病構造の変化によって、21世紀の医療は看護に支えられていくことは間違いない。こうした労働状況の改善に目を向けない限り、日本の医療はより人間性を欠いたものになってしまうだろう。

 

 ちなみに、「ケア」というのは医療の分野だけで取り上げられているだけではなく、育児・介護・介助を始めとした福祉の分野、教育、カウンセリングの分野でも主張されている問題。こうした分野に興味がある人におススメなのが、ケアを広い視野から見つめる広井良典さんと、フェミニズムマルクス主義からの上野さ千鶴子さんの以下の著書。

ケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ

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ケア学―越境するケアへ (シリーズ ケアをひらく)

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